王翦将軍〜春秋戦国時代と秦の集大成!中華統一へ〜

王翦将軍のイメージ画像 中国春秋戦国時代から学ぶ

本記事内のリンクには広告が含まれています。

王翦将軍とは?

🟨 王翦将軍は実在の将軍

王翦と秦王嬴政(えいせい)  出典:横山光輝「史記」第8巻(小学館)

王翦(おうせん)は、戦国時代末期の秦の将軍で実在の人物です。

始皇帝・嬴政の中華統一事業を支えた最重要人物の一人です。キングダムでは“仮面の戦略家”としてミステリアスな存在感を放っていますが、史実でも極めて優秀かつ慎重な将軍だったことが、司馬遷の『史記』やさまざまな文献に記されています。

特に有名なのは、楚を滅ぼした戦いにおいて60万の兵を要求したというエピソード。この慎重さと、盤石な準備こそが王翦の代名詞です。
彼の功績は、まさに「秦の中華統一のラストピース」ともいえるものでした。


🟨 戦国四大名将の一人

中国の戦国時代を代表する武将には、「戦国四大名将」と呼ばれる4人がいます(白起・廉頗・李牧・王翦)。それぞれが異なるスタイルを持ち、いずれも卓越した戦術眼を誇っていました。

  • 白起:攻めの天才。少数でも殲滅できる“圧倒的火力型”
  • 廉頗:鉄壁の守りで敵を寄せ付けない“防衛の名手”
  • 李牧:冷静な逆転戦術と広域戦略を誇る“知略の化身”
  • そして王翦は、“慎重で計算高く、国ごと制するタイプ”

王翦はこの中でも異色の存在です。
白起や李牧のように粛清されることなく、始皇帝・嬴政に絶大な信頼を得て、”中華統一の最後のピースを埋める役割”を担った唯一無二の名将した。


🟨 王翦将軍の活躍と功績

王翦の具体的な軍事行動には、以下のようなものがあります。

  • 趙の攻略支援(李牧との駆け引き。桓騎、楊端和らと趙を攻める)
  • 楚の滅亡(蒙武将軍と共に、楚の項燕将軍を破り楚滅亡へ)
  • 燕の攻略(息子の王賁(おうほん)李信らと攻める)

とくに楚を滅ぼす戦いは、戦国時代最強クラスの項燕(こうえん)大将軍を相手にした
一大決戦であり、王翦は見事な戦略でこれを制しました。

これは単なる戦術勝利ではなく、「秦による中国統一」に王手をかけた戦いでした。
まさに”春秋戦国時代”と”秦の歴史”を完成させた将軍と言っても過言ではないでしょう。

王翦の戦術と、他の将軍との違い

⚔️徹底的にリスクを避ける戦略家

王翦の最大の特徴は、徹底的に“勝てる戦”しかやらない慎重さにあります。

楚を攻めるときには「60万の兵が必要です」と進言し、
それが受け入れられなければ「私は家で農業をします」と断言した、という有名な逸話があります。
この話は単なる頑固さではなく、事前の計算と準備こそが勝利を生むという王翦の哲学を示しています。

彼は敵国の強さだけでなく、自国の内情、王の信頼、戦後の統治までを考えたうえで作戦を立てていました。
戦場における感情的な判断は一切なく、**常に「勝てる条件が整うまで動かない」**のが王翦のやり方だったのです。


⚔️「白起」や「李牧」とどう違う?名将たちとの比較

「白起」「李牧」といった、実在した将軍たちとの違いを理すると、以下のような対比になります。

将軍主なスタイル特徴
白起攻撃型の戦術家敵の心理を突き、劣勢でも勝つ逆転力。長平の殲滅戦が代表例。
李牧広域戦略+防衛型情報戦や複数軍の連携で大軍を逆転。対秦の守護神。
王翦超広域戦略+超慎重・計算型勝てる状況を整えるまで動かない。冷静で統治まで視野に入れる。国外・国内関わらず全方位への備えができる。

「白起」は戦場では生涯無敗の圧倒的な天才でした。
「李牧」は、秦という強大な軍事国家を相手に、自らの才覚のみで対峙できた戦略の天才でした。

ただ、この2人と「王翦」との圧倒的な違いは、国内の敵・味方への対応力でした。

彼らが生きた戦国時代では、(自国のためなのに)才能を発揮しすぎると、恐れや嫉妬・権力闘争などに巻き込まれ誅殺されてしまうことが多々ありました。白起・李牧も例外ではなく、その圧倒的な才能ゆえに悲劇的な最期を遂げています。

もちろん王翦も、その対象となる可能性は大いにある位置に立っていました。

しかし、王翦は生涯を全うすることが出来ました。

その理由は、王翦が目を向けていたのは戦場だけでなく、自国の王(始皇帝)や政治までも視野に入れていたからです。また、それに対する対応能力も兼ね備えていました。

だからこそ王翦は、中華統一という前代未聞の大事業において、最大の成果を上げつつ、最後まで生き残こることが出来た将軍と成り得たのでしょう。

キングダムでの王翦将軍

🟨 秦の新六大将軍〜圧倒的に強いが、失敗もする〜

出典:原泰久「キングダム」第74巻(集英社)

『キングダム』における王翦は、物語の中盤以降に本格的に登場する“秦の新六大将軍”の一人として描かれています。仮面をかぶり、感情を読ませない冷静な戦略家というキャラクター性は、史実の王翦像を強く意識した設定といえます。

漫画『キングダム』(75巻の時点)では、趙の李牧との緊張感溢れる大激戦と駆け引きが展開されました。結果的に李牧に敗れ、一時的に戦場から離れている状況になっています。

キングダム内の、冷静で完璧なように見える王翦も、決して完全無欠というわけではありません。もしかしたら、これから王翦の活躍の山場に向かって、人間味の部分が描かれていくのかもしれません。ほんの少し出てくる怪物・王翦の“ほころび”が物語をさらに面白くし、読者にフックと緊張感を与える要素にもなっています。

\ キングダム75巻! /

🟨 とにかく謎が多い

キングダムの王翦は、性格・目的・本心などがほとんど語られないミステリアスな存在として描かれています。
「中華統一のために動いているのか、それとも王の座を狙っているのか」など、作中でも疑問を持たれており、その“読めなさ”が彼のキャラクターをさらに際立たせています。

読者視点でも、「この人、味方なの?それとも…?」という不安と期待が同居し、登場するたびに空気がピリつくのが王翦の魅力の一つです。

きっと、リアルな戦場でも、これくらい謎めいていないと本当の名将にはなれなかったのでしょう。


🟨 王翦活躍の山場はまだまだこれから

出典:横山光輝「史記」第8巻(小学館)

史実において、王翦が最大の成果をあげるのは楚の滅亡戦。
これはキングダム作中ではまだ描かれておらず、今後の大きな見どころの一つと考えられます。

「60万の兵を要求した」という逸話も含めて、
王翦の真の恐ろしさ、底知れなさが本格的に描かれるのは、これからと言えるでしょう。

つまり、今後のキングダムでは「王翦が本領を発揮するターン」に突入していく可能性が高く、
読者としてはますます目が離せません。(ずっと離せていませんが・・)

まとめ

🟨 王翦将軍は名実ともに偉大な将軍だった

王翦は、史実・フィクションの両面から見ても、間違いなく戦国時代を代表する将軍の一人です。

戦場での慎重かつ圧倒的な戦略、無駄を排した采配、そして“勝てる戦しかしない”徹底した合理主義。
その姿勢は冷徹とも見られがちですが、裏を返せばそれは「兵士を無駄死にさせない」という、深い責任感と覚悟の表れでもあります。

さらに、白起や李牧が粛清・失脚していった激動の戦国時代において、
王翦は始皇帝からの信頼を最後まで得て、中華統一に貢献し、生き抜いた数少ない武将でした。

単なる“勝ち戦の名手”ではなく、秦という国家の仕組み・流れ・完成形を体現した将軍だったといえるでしょう。


🟨 秦王嬴政(始皇帝)と王翦

出典:原泰久「キングダム」第59巻(集英社)

王翦の存在は、始皇帝・嬴政の存在と切っても切れません。
嬴政の中華統一という悲願において、王翦はまさに“最後の仕上げ役”であり、その実行力・判断力は他の将軍とは一線を画すものでした。

歴史的に見れば、嬴政と王翦の関係性は、
「理想を掲げる王と、それを現実に落とし込む戦略家」として機能していたかのように見えますが、その逆も然り「始皇帝の思想・権力をうまく制御しつつ最大限・力を引き出した」のが王翦だったのかもしれません。そういう意味でも、もしかしたら2人は最高のコンビだったのかもしれません。

漫画『キングダム』では今のところ、二人の関係はほぼ”無”の状態ですね。この“嬴政と王翦”の関係は、今後どのように描かれていくのか?いかないのか?読者としては興味深いところです。

キングダムでの、「王翦の真意」、そして彼の「戦いの終着点」はどこにあるのか——。

歴史の流れを知ることで、今後の物語をさらに楽しむヒントになることでしょう。

\ キングダム75巻! /

関連人物・年表

王翦と関わりの深い人物や、同時代の将軍たちをご紹介します。
人物をクリックすると、たけのこブログ内の関連ページへ飛べます。

人物関連性
白起秦の先輩名将。殲滅戦の天才。王翦とは対照的な“火力型”の将軍。※戦国四大名将の一人
李信蒙恬と共に楚を攻めた若き将軍。失敗を経て成長した秦の新星。中華統一に大いに貢献。
李牧趙の天才軍師。王翦との駆け引きは戦国時代最大級の知略戦。※戦国四大名将の一人
廉頗趙の防衛名将。王翦と対決はしていないが、藺相如と共に秦の侵攻を阻止した。※戦国四大名将の一人。
嬴政(始皇帝)秦王。王翦の主君。中華統一の大業を実現した最初の皇帝。

🗺️あわせてこちらもどうぞ:
▶︎ 春秋戦国時代の人物年表・一覧


📖参考文献

  • 司馬遷「史記」白起・王翦列伝
  • 鶴間和幸著『始皇帝の戦争と将軍たち』(朝日新書)
  • 原泰久『キングダム』(集英社)
  • 横山光輝『史記』(小学館)
  • ウィキペディア「王翦」最終閲覧日:2025年5月15日

補足・注意書き

※本記事は上記の文献・資料をもとに、ChatGPT(OpenAI)を補助的に活用し、
内容の整理や構成の検討を行い執筆しています。
歴史的事実については諸説あり、解釈の違いや創作を含む部分があります。
楽しんでいただける読み物としてご覧ください。

コメント

タイトルとURLをコピーしました