この記事でわかること
- 李信(信)は実在した将軍
- 飛信隊と仲間たちは実在したのか?
- 史実の李信の実績
- 李信に関連のある人物たち
李信将軍と飛信隊とは?
李信(信)は実在の将軍だった

秦の将軍・李信(りしん)は、実在した歴史上の人物です。
彼が活躍したのは、戦国時代の最終局面――中華統一が目前に迫る、まさに歴史が動く時代。
キングダムの読者には、物語の主役として熱く戦う若き武将としておなじみですが、史実でも「秦王政(後の始皇帝)」に仕えた将軍の一人として記録に残っています。
史記によれば、李信は“若いながらも果敢な将軍”として秦の東方遠征に抜擢され、楚や燕、斉などの戦いで実際に軍を率いています。
当時の大将軍・王翦(おうせん)や蒙恬(もうてん)らと共に、中華統一を実現した“現場の中心人物”の一人と言っても過言ではありません。
実在の人物であると同時に、キングダムでは“創作ならではの深掘り”も多く、史実とフィクションの両面から楽しめる将軍です。
飛信隊とその仲間たちは実在した?
李信(信)が戦争で率いる部隊「飛信隊」。
物語中では、「飛信隊」の名は、六大将軍・王騎から授けられました。
しかし、史実に“飛信隊”という名称は登場せず、
「飛信隊」という部隊名や、仲間たちの多くは原泰久先生による創作です。
※しかし、羌瘣(きょうかい)だけは、少し特殊です。
飛信隊のほんの一例ですが、
構成メンバー達👇️
- 羌瘣(実在)=史実に登場する将軍で、実際に王翦や楊端和と共に趙攻めなどで活躍した人物です。ただし、キングダムではこの史実の将軍に、伝説上の人物『蚩尤(しゆう)』をかけ合せた。
【実在の将軍】+【伝説上の人物】=【フュージョン系のキャラクター】 として描かれいます。
※詳しく知りたい方はこちらもどうぞ👉️『最強剣士 蚩尤(しゆう)羌瘣(きょうかい)』 - 河了貂(創作)=ずっと信と共に生きる戦友的存在。途中大きな成長を遂げ”軍師の象徴的存在”
- 楚水(創作)=歴史に実在の記録はないが、忠義の副官タイプとして物語を支える
- 尾平(創作)=信と同じ村の出身。いわゆる普通の人間が信とともに成長していく
こうしたキャラクターたちは、李信と羌瘣いう実在武将を軸にしながら、
読者に「成長」「信頼」『友情』の物語を描かせてくれる存在です。
史実での、李信将軍の主な活躍と功績

作成者:Lqy219 / CC BY-SA 3.0 https://commons.wikimedia.org/wiki/File:ZH-战国七雄地图.jpg
年表で見る李信の出世と戦歴
李信の戦歴は、戦国末期の秦の猛攻そのものでした。
年表でざっくり確認してみましょう⚔️🔥
年(おおよそ) | 出来事 | 解説 |
---|---|---|
紀元前229年ごろ | 趙攻め | 王翦(おうせん)が総大将を務めるなか、李信は大原・雲中に出征 |
紀元前226年〜 | 燕攻め(燕太子丹による秦王嬴政(えいせい)の暗殺未遂後) | 王翦・王賁(おうほん)らと共に秦軍を率い、燕丹を追い捕虜とする |
紀元前225年〜 | 楚攻略戦に抜擢される | 蒙恬(もうてん)と共に出陣、大敗北を喫するが将軍としての地位を確立 |
紀元前222年〜 | 燕攻め(燕 滅亡) | 王賁とともに遼東を攻め、燕王喜を捕虜とし、燕を滅ぼす |
紀元前221年〜 | 斉攻め(斉 滅亡) 🔥🔥中華統一🔥🔥 | 王賁・蒙恬と斉を攻め滅ぼす |
🔥李信将軍の代表的な戦い
⚔️楚での大敗──若き将軍が学んだ苦い経

始皇帝・政の命によって楚攻略を任された李信は、楚の攻略は
「20万の軍勢で十分」と豪語し、名将・王翦の60万の案を退けて出陣しました。
しかし、待ち構えていたのは“戦国最強最後の砦”とも言われる楚の項燕。
李信は敗北を喫し、大きな損害を出してしまいます。
この失敗によって王翦が再登板し、楚攻略は成功しますが、
李信にとっては若さゆえの過信からくる挫折と成長のターニングポイントでもありました。
※楚・項燕(こうえん)大将軍を詳しく知りたい方はこちら
※蒙恬(もうてん)将軍を詳しく知りたい方はこちら
⚔️燕攻め──王賁との共闘が光る戦い
第一回目の燕攻め。
燕太子丹による、秦王嬴政(えいせい)の暗殺未遂を契機に、燕を徹底攻撃します。
王翦・王賁とともに燕攻めに参加。 最後は、李信が燕太子丹を捕虜にし秦王の報復を果たす。

第2回目の燕攻め
中華統一の目前。再び、王賁と共に燕を攻める。
燕王喜を捕虜とし、燕を滅ぼした。
⚔️斉攻め──中華統一のフィニッシャーに
戦国七雄の中で、最後まで秦からの侵攻を受けてこなかった斉国。
李信は王賁と共に、中華統一の最終局面に立ちます。
このときの斉は、すでに他国との外交関係を失い孤立状態。
李信はほぼ無血開城に近い形で斉を制圧し、秦の中華統一を完了させる一手を担いました。
こうして、李信は「歴史的大敗を喫したの将軍」だったにもかかわらず、
中華統一という“歴史的偉業”を実現した最後の戦いに名を刻みました。
(史実に残る記録の多さも目を引くところです。)
キングダムでの李信(信)と飛信隊
キングダムでの李信(信)の歩み

秦王嬴政(えいせい)(後の始皇帝)が中華統一を目指す中で、大きな柱の一人として活躍する李信(信)
『キングダム』の信(李信)は、名もなき下僕出身の少年として物語をスタートします。
親友の漂(ひょう)を失い、天下の大将軍を目指す旅路の中で、王騎との出会い・別れ、
飛信隊の仲間や多くの敵・味方と出会い、運命的な戦乱の時代の中で成長していきます。
特に印象的なのは、「六大将軍王騎」との出会いと、「飛信隊」という信の率いる部隊。
物語の序盤、伝説的な大将軍『怪鳥・王騎(おうき)』から飛信隊という隊名をもらいます。
王騎の背中を追い大将軍を目指していた信ですが、多くの戦いを経験し切り抜けていく内に、
李信(信)の周りには多くの人間が集まり、今度は憧れの対象となる存在へと成長していきます。
飛信隊の成長と仲間たち

王騎将軍から命名された「飛信隊」。当時は100人隊からのスタートでした。
キングタム74巻時点では、李信は将軍となっており、数万の軍を率いるまでになりました。
信も飛信隊も大きく成長したこの時、隊発足から12年の月日が経過していました。
仲間たちも個性豊かで、
- 羌瘣(きょうかい):最強の副長にして信の魂の相棒
- 河了貂(かりょうてん):軍師として戦局を支える“頭脳”
- 楚水・我呂・松左・崇原・田有などの歴戦の兵士たち
- 那貴(なき):桓騎軍の古参だったが、信に魅せられて飛信隊に移籍。
最後は桓騎軍の危機に駆けつけ共に戦死した - 干斗(かんと)や仁・淡の弓矢兄弟といった若手も隊員の意志引き継ぎながら台頭
それぞれが信と共に戦い、命を懸けて“将軍の背中”を支えています。
漫画「キングタム」の信は、史実の将軍・李信をベースにしつつも、
友情・努力・成長といった少年漫画のエッセンスを凝縮したキャラクターとして描かれています。
史実との違い・創作の面白さ
史実に登場する李信は、「秦王政の時代に楚や燕を攻めた将軍」として名が残る存在。
しかし残念ながら、彼の性格や台詞、仲間との関係性などは、詳しくは記録されていません。
そこで原泰久先生が描いたのが、
“下僕から成り上がる少年”という大胆なオリジナル設定。
李信の実績という「点」に、漫画的な「線と物語」を加え、
主人公としての魅力を最大限に引き出しています。
また、飛信隊や王騎将軍・貂といった創作キャラのほかにも、
実在した龐煖(ほうけん)や羌瘣(きょうかい)や桓騎(かんき)なども、よりドラマチックに創作・昇華され、人間関係のドラマ”を紡ぎながら、戦国時代のダイナミズムを味わえるのも、キングダムならではの醍醐味です🔥⚔️

物語の中で信が放つ熱量や真っ直ぐさは、
実際に激動期の戦場を駆けた将軍・李信にも、どこか重なる部分があるのかもしれません。
まとめ
史実では、
若くして戦場に立ち、失敗を経験しながらも、
将軍として成長し続けた男――李信。
彼の存在は、戦国時代末期の**「中華統一のラストピース」**として、
秦の歴史を大きく前進させる原動力のひとつになりました。
漫画『キングダム』では、
下僕から始まり、友情と努力で道を切り拓く“王道少年マンガの主人公”として描かれる李信。
その背景には、実在の将軍が確かに存在していたという事実が、力強い土台となっています。
また、彼を支える飛信隊の仲間たちや、
王賁・蒙恬・王翦・羌瘣といった他の名将たちとの関係性は、
歴史を「縦に」だけでなく「横にも」広げてくれる、大きな魅力の一つです。
🔗 関連リンク
■歴史年表・人物一覧■
🔷李信や羌瘣らが活躍した年代や相関関係に興味のある方は「人物年表」も御覧ください。👇️
👉️『中国・春秋戦国時代の年表 〜人物一覧〜』
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📚参考文献・出典
- 司馬遷『史記』「白起・王翦列伝」
- 鶴間和幸著『始皇帝の戦争と将軍たち』朝日新書、2024年
- 原泰久『キングダム』集英社
- 横山光輝『史記』小学館
- ウィキペディア「李信」<br>(最終閲覧日:2025年5月20日)
※本記事は、上記の文献・資料をもとに執筆しており、内容の整理や構成の検討には ChatGPT(OpenAI)を補助的に活用しています。
歴史的事実には諸説があり、解釈の違いや創作を含む部分もございます。
楽しんでいただける読み物としてご覧いただければ幸いです。
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