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この記事では、
・史実での白起とは、生涯無敗・戦国時代屈指の名将
・白起の代表的な戦い「伊闕の戦い」「長平の戦い」
・白起の強さの秘密
・悲劇の最期
を、わかりやすく解説していきます。
※六大将軍という制度は、漫画「キングダム」での創作設定です
第1章 白起とはどんな人物か?


春秋戦国時代――中国が統一される前の長い戦乱の時代、秦の台頭を支えた多くの名将の中で、ひときわ異彩を放つ人物がいます。その名は白起(はくき)。
彼は、キングダムの中で「戦神」と言われていた昭襄王(昭王)の最大の戦力であり懐刀でした。その卓越した戦略で数々の戦いに勝利し、秦が中国統一を果たす礎を築きました!
白起の功績は数えきれませんが、特に有名なのは、趙軍40万を壊滅させた「長平の戦い」。この戦いによって、秦は他国に圧倒的な軍事力を見せつけ、天下の覇権に一歩近づきました。一方で、その冷徹さゆえに「人道的ではない」と批判されることも多く、彼の人生は波乱に満ちたものでした。
歴史好きの間では英雄と語り継がれる一方で、人気漫画『キングダム』では、時代のズレからそこまで詳しく描かれていません。しかし、白起を知ることで、この時代の面白さや秦の強さの秘密をより深く理解できるはずです。この記事では、そんな白起の代表的な戦いや人物像に迫り、その魅力を紐解いていきます。
※戦国時代には、白起に匹敵する“武”を誇った武将もいました。
『西の白起(はくき)・東の楽毅(がくき)』ともいわれる
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第2章 白起の代表的な戦いとその戦略
白起の名が歴史に刻まれる理由は、その数々の戦場での圧倒的な勝利にあります。ここでは、彼の代表的な戦いを2つ取り上げ、彼の戦略の凄さを紐解きます。
伊闕の戦い(いけつのたたかい)
紀元前293年、白起が初めてその才能を天下に知らしめた戦いが「伊闕の戦い」です。この戦いでは、韓と魏の連合軍24万を相手に、白起率いる秦軍はわずか数万人でこれを撃破しました。
白起の戦術の鍵は「地形を巧みに利用すること」。彼は連合軍を山岳地帯へ誘い込むことで、逃げ場のない状況を作り出しました。そして、兵士たちを分散して包囲するという大胆な戦術で敵を壊滅させます。この勝利により、秦は中原への進出を加速させ、白起は一躍その名を知られる存在となったのです。
長平の戦い(ちょうへいのたたかい)

白起のキャリアの中でも特筆すべき戦いが、紀元前260年の「長平の戦い」です。この戦いでは、秦軍数万が趙軍40万を殲滅するという、戦国時代最大級の勝利を収めました。
この戦には、『キングダム』にも登場する六大将軍の一人・王齕(おうこつ)が白起の副将として参戦しています。
開戦当初、趙軍の指揮官は廉頗(れんぱ)大将軍が務めており、秦軍を2年もの間食い止め食い止め善戦していました。(実は、この時点での秦軍の総大将は王齕でした。)
しかし、秦の策略により廉頗将軍は解任されてしまい、経験が浅い趙括(ちょうかつ)が趙の総大将となります。
そのタイミングで秦軍は白起を新たに総大将として戦場に送り込みました。白起の戦術は、まず敵軍を分断することから始まりました。白起は巧みに相手の油断を誘い、総攻撃に出る瞬間を見極めます。そして、趙軍を完全に包囲した上で補給路を断ち、敵の士気を徹底的に削ぎました。
長平の戦いで白起が見せた冷静な判断力と大胆な決断力は、その後の白起の名声を不動のものとしました。しかし同時に、この戦いで投降した趙軍兵士(40万人と言われている)を大量虐殺したことが、彼の評価に影を落とす出来事として語り継がれています。
※趙国を軍事と知略で守ってきた【廉頗(れんぱ)将軍】と【藺相如(りんしょうじょ)】
この二人が表舞台から退場してしまったことが「長平での大敗北」の要因の一つでした。
白起の戦いは、単なる力のぶつかり合いではなく、徹底した計算と冷静な戦略の産物でした。次のセクションでは、そんな白起の「強さの秘密」に迫っていきます。
第3章 白起の強さの秘密
白起の強さは、ただ兵士の数が多かったり、武器が優れていたからではありません。彼が戦場で生涯無敗でいられたのは、いくつもの要素が絡み合ってのことでした。ここでは、その秘密を3つに分けて解説します。
戦略立案の天才
白起の最大の強みは、戦略を立案する能力でした。彼は戦場の地形や敵軍の配置を詳細に分析し、最適な戦術を編み出すことで勝利を手にしました。
たとえば、長平の戦いでは、趙軍の補給路を断つことで敵の疲弊を狙い、一気に総攻撃をかけるタイミングを見極めました。このような計算された動きは、白起ならではの冷静さと知性の産物です。
兵士を動かすリーダーシップ
白起は、ただ戦略を立てるだけでなく、それを現場で実行する能力にも優れていました。兵士たちが彼の指揮に従う理由は、白起の徹底した実力主義にありました。
彼は部下の能力を的確に評価し、適材適所に配置することで効率的な軍の運用を実現しました。また、無駄な犠牲を極力避ける姿勢も兵士たちの信頼を集めた要因と言われています。
冷徹な判断力
戦場で迷いを見せないこと――これが白起のもう一つの強みです。彼は勝利のために非情な選択を厭いませんでした。
長平の戦いでの投降兵の大量処刑はその最たる例です。この行為は現代の倫理観から見れば批判の的になりますが、当時の戦国時代では「恐怖による抑止力」を目的とした冷徹な戦略だったと考えられています。
白起の強さは、単なる個々の能力ではなく、「分析」「統率」「決断」という3つの能力が高次元で組み合わさった結果でした。しかし、その非情さが後に彼自身の運命を狂わせることになるのです。
次のセクションでは、そんな白起の「悲劇的な末路」について触れていきます。第4章 冷徹さゆえの悲劇的な末路

白起の名を一躍不動のものとした「長平の戦い」。その冷徹な戦術で趙軍を壊滅させた彼でしたが、この圧倒的な勝利が後に彼の運命を狂わせるきっかけとなります。
冷徹な戦術とその代償
長平の戦いで白起は、趙軍の投降兵40万人を処刑したと言われています。これには、「二度と趙が秦に逆らえないようにする」という意図があったと考えられます。この非情な決断は戦国時代ならではの戦術でしたが、他国からの憎悪を生む結果にもなりました。
趙の恨みは深く、この後も秦との激しい対立が続くことになります。
さらに、白起の非情さは秦国内でも問題視されるようになり、彼の戦果を警戒した政敵たちが彼を徐々に疎んじるようになります。
政治闘争に巻き込まれる白起
紀元前257年、秦は趙の邯鄲(かんたん)を攻めましたが、思うように戦果を上げられませんでした。この戦いで出陣を命じられた白起は、病気を理由に辞退します。しかし、この行動秦の昭襄王(昭王)の怒りを買うことに。
范雎らの政治的圧力により、白起は将軍職を解かれ、地方へ左遷されます。そして、彼を追い詰める策略が続き、最終的には自害を命じられることになりました。白起は、自分が命じた大量虐殺の行為がいずれ報いとなって返ってくることを理解していたのかもしれません。
・・そして悲劇の英雄へ
白起は一度も戦場で敗北することのないまま、その生涯を終えました。しかし、彼の功績は当時の秦国内で冷たく扱われ、悲劇的な結末を迎えます。その後、歴史の中でようやく再評価され、「秦の統一を加速させた天才」としての名声を取り戻しました。
白起の人生は、戦略家としての成功と、冷徹さゆえの孤立の物語でもあります。そんな彼の姿は、現代の私たちに多くのことを考えさせてくれるのではないでしょうか。
※白起亡き後も時代は止まることなく、新たな若き武将たちが歴史を紡いでいきます。
👉次世代の将軍たち【羌瘣】【蒙恬】の記事もあわせてご覧ください
第5章 白起から何を学ぶか?
白起の人生は、戦略家としての成功と、その冷徹さゆえの孤立が織り交ざったものでした。彼の生き方から、現代を生きる私たちは何を学べるのでしょうか?
才能の輝きとその代償
白起のように突出した才能を持つ人は、必然的に周囲の嫉妬や警戒を集めます。彼はそれをものともせず、圧倒的な成果を上げましたが、その冷徹さが人間関係を壊し、政治闘争に巻き込まれる結果を招きました。
現代でも、リーダーシップを発揮する際に「成果を追求する姿勢」と「人との調和」を両立させることが重要だと感じさせられます。
勝利を追求する冷徹さの是非
白起の戦術は、勝利を最優先に考えたものです。しかし、長平の戦い後の大量虐殺のように、彼の判断は倫理的な視点で大きな問題を残しました。
戦争の目的が「敵を殲滅すること」から「秩序をもたらすこと」に変わりつつある現代では、白起の判断をどのように受け止めるべきか考えさせられます。
白起のリーダーシップに学ぶ
白起は戦場において、部下を信頼し、適切な役割を与えることで圧倒的な成果を上げました。この点は、現代の組織運営にも通じる教訓です。リーダーとして、冷静に状況を分析し、決断する力の重要性を彼の生涯が教えてくれます。
天才を孤独にさせない社会を考える
白起の孤独な結末は、彼個人の性格だけでなく、彼を取り巻く社会や政治の影響もありました。彼のような天才が活躍し続けるには、周囲のサポートや公平な評価が必要だったのかもしれません。
現代においても、才能を正しく評価し、それを支える環境を整えることが重要だと気づかされます。
まとめ:白起の人生が語るもの
白起は一度も敗北することのないまま生涯を終えた将軍でした。しかしその裏には、勝利を追求するゆえの冷徹さや孤独がありました。彼の人生を振り返ることで、私たちは「才能」「リーダーシップ」「人間関係」についての示唆を得られるのではないでしょうか。
私は、白起と同等の性質を持った歴史的人物を思い浮かべてみました。まずは日本の戦国武将、武田信玄や上杉謙信を思い浮かべました。しかし彼らは国主であり一将軍ではありませんでした。白起はあくまで一将軍として純粋に戦場でのみ、その才能を発揮しました。
でも今の時代に、白起将軍と同等かそれ以上の輝きを持っている人物がいることに気がつきました。1プレーヤでありながら、戦場の外で白起に足らなかった『人間関係』までもバランスを取っているであろう人物。スポーツを一つの戦場と例えることが出来るのであれば、メジャーリーガーの大谷翔平選手は現代の戦神と言っても良いかもしれません。球神の方がいいのかな。(まあ、いずれも大谷選手は喜ばないかもしれませんが)白起自身の強さの源泉である「分析」「統率」「決断」の力と、軍をまとめる「才能」「リーダーシップ」「人間関係」の全てを、今の大谷選手は持っているように感じます。100年、いや、何百年に一人の逸材とは、このような人なのかもしれませんね。
最後はだいぶ脇道に逸れましたが、白起という存在は、ただの歴史上の英雄ではなく、時代を超えて私たちに問いを投げかけ続ける特別な人物だったと言えるでしょう。
※白起や楽毅が活躍した年代や相関関係に興味のある方は「人物年表」も御覧ください。👇️👇️
■歴史年表・人物一覧■
🔷年表・国別から人物を探したい方は、こちら🔷
📌参考文献・出典
- 司馬遷『史記』「白起・廉頗列伝」
- 原泰久『キングダム』(集英社/週刊ヤングジャンプ連載)
- 横山光輝『史記』(小学館)
- Wikipedia「白起」(最終閲覧日:2025年4月28日)
※本記事は上記文献、およびAIアシストによる情報整理・考察をもとに作成しています。
記載内容には史料の解釈に幅がある部分があり、筆者による考察を含む箇所もあります。
ご理解のうえ、お楽しみいただければ幸いです。
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