「戦わずして勝つ」「彼を知り己を知れば百戦殆うからず」――
こうした名言をご存知の方は多いのではないでしょうか。
これは、約2500年前の中国に実在した『孫子兵法』の一説。
それを記したとされるのが、伝説の兵法家「孫武(そんぶ)」です。
本記事では
- 孫武の人物像や名言・逸話
- 孫子兵法の全13篇の構成と思想
- 現代ビジネス・戦略への応用
- 歴史的戦略家(ナポレオン・呉起)との比較 など
歴史に興味のある方からビジネスに活かしたい方まで、誰もが楽しめるようやさしく解説します。
孫武とは?
春秋時代・呉に仕えた将軍
紀元前6世紀ごろ、戦乱の続く春秋時代。中原の諸侯たちがしのぎを削るなか、南方の小国・呉に仕官した一人の男がいた。その名は――孫武(そんぶ)。
彼はもともと斉の出身と伝わり、軍略の才を見込まれて呉王・闔閭(こうりょ)に招かれた将軍です。孫武はただの兵士や参謀ではなく、「軍のあり方」そのものを語れる稀有な戦略家でした。

当時の呉は、大国・楚に対して劣勢に立たされていました。しかし、孫武が軍を率いるようになると、その流れが大きく変わっていきます。特に彼が主導した「速戦即決」「機動性を重んじる戦術」は、呉軍の武器となり、楚をはじめとした強国に勝利を重ねていきました。
なかでも有名なのが、「柏挙(はくきょ)の戦い」。孫武の巧妙な軍略によって、楚軍に痛撃を与え、呉を一躍、春秋五覇の一角にまで押し上げたとされています。
孫武の登場は、呉という国にとってただの軍人の登用ではありませんでした。国家の運命を変える知略の使者であり、後世の戦略思想にも深く影響を与える始まりだったのです。
『孫子兵法』の著者として伝わる人物
「孫子兵法」は、後世の戦略家たちがこぞって読み継いだ兵法書の金字塔。その著者として名を刻んでいるのが、まさにこの孫武です。
全十三篇からなるこの書は、「戦わずして勝つ」「自軍の強みと敵の弱みを活かす」など、数々の名言とともに、理論的かつ実践的な軍略が緻密に記されています。まるで現代のマネジメント理論や心理戦術にも通じるような知恵が詰まっており、その普遍性こそが『孫子』の最大の魅力だといえるでしょう。
しかし、実はこの「孫武=孫子」という認識には、古くから議論があります。一部の学者は、孫武は実在の人物だが、『孫子兵法』は後の世の編纂である可能性を指摘しています。さらに、孫武とは別に、孫臏(そんぴん)という人物が後に「孫子兵法」の一部を継承・再構築したとする説もあります。
史実と伝説が交錯する存在
孫武という人物は、その名を歴史に刻んだ一方で、多くの謎に包まれた存在でもあります。実在した人物とされるものの、記録があまりに少なく、後世の物語や伝説と混ざり合って語られているからです。
たとえば、あまりにも有名な**「美女を使った軍事訓練」**の逸話――。呉王・闔閭が孫武を試すために、後宮の美女180人を兵士として訓練させるよう命じます。孫武はこれに応じ、2人の寵姫を隊長に任命しますが、命令を守らなかったとして彼女たちを斬首。その徹底した軍律によって、残された美女たちは一糸乱れぬ兵士へと変貌した……という物語です。
この逸話は、『史記』にも記載されており、当時の「軍規」の厳しさや、孫武の非情さを示す逸話として知られています。しかし、これが事実かどうかは、今となっては確かめる術がありません。むしろ、孫武という軍略家の“凄み”を語るために脚色された可能性もあるとされています。
また、『孫子兵法』の内容も、実際に孫武が執筆したかどうかには諸説あり、時代を超えて加筆・再編集された可能性も指摘されています。
とはいえ、伝説と史実が重なり合うことこそが、孫武という人物の神秘性を高めているのは間違いありません。「伝説になっても語り継がれる」という事実こそ、孫武の存在がどれほどのインパクトを持っていたかを物語っているのではないでしょうか。
「孫子兵法」とは何か?
全13篇の構成と特徴
『孫子兵法』――その名を一度は耳にしたことがある人も多いかもしれません。
この書は、全13篇から構成される戦略・戦術の体系書であり、世界最古とも言われる兵法書のひとつです。
各篇はそれぞれ独立しながらも、軍事だけにとどまらず、人心掌握、情報戦、損得計算、戦争回避といった多様なテーマが含まれており、単なる「戦のマニュアル」ではないことがわかります。
各篇のタイトルとざっくりとした内容を並べてみましょう。
篇名 | 内容の要点 |
---|---|
計篇(けいへん) | 戦う前の準備・状況分析 |
作戦篇(さくせんへん) | 戦のコストと持久力 |
謀攻篇(ぼうこうへん) | 武力よりも智略の重要性 |
形篇(けいへん) | 守りの形を作る戦術 |
勢篇(せいへん) | 勢いを利用する |
虚実篇(きょじつへん) | 相手の隙を突き、自らの実を隠す |
軍争篇(ぐんそうへん) | 戦場での駆け引きと主導権争い |
九変篇(きゅうへんへん) | 柔軟な対応力の重要性 |
行軍篇(こうぐんへん) | 軍隊の動かし方、地形の読み方 |
地形篇(ちけいへん) | 地形ごとの戦術選択 |
九地篇(きゅうちへん) | 戦場の種類と対応 |
火攻篇(かこうへん) | 火を使った攻撃の活用 |
用間篇(ようかんへん) | スパイ(間者)と情報戦 |
このように、『孫子兵法』は13の章すべてが戦いに勝つための視点だけでなく、“いかに無駄な戦を避けるか”という哲学も貫かれています。
現代人にとっても、「情報を集めて計画を立てる」「感情ではなく論理で動く」「勝てない戦はしない」といった考え方は、日常やビジネスにそのまま応用できる知恵ばかり。
単なる古典ではなく、時代を超えて生き続ける知的なサバイバル術こそが、『孫子兵法』の真価なのです。
現代でも通用する「人間理解」の書
『孫子兵法』は、たしかに戦争の書として知られています。けれども、その本質は「どうやって敵を倒すか」ではなく、どうやって“人と場”を見極め、勝負に巻き込まれずに勝つかという人間理解の哲学書に近い側面を持っています。
たとえば、こんな一節があります。
「彼を知り己を知れば百戦殆うからず」
これはあまりにも有名な言葉ですが、意味するところは単純明快――
**「自分と相手のことをよく理解すれば、戦いに負けることはない」**ということです。
この考え方は、現代においてもさまざまな場面で生きています。ビジネスでは、市場や競合を分析し、自社の強みを知ることが成功の鍵。人間関係では、相手の性格や状況を読み、自分の感情とどう向き合うかが、摩擦を避ける術になります。
つまり孫子の教えは、何千年も前に書かれたにもかかわらず、
**「人をどう動かすか」「自分をどう整えるか」**という、極めて現代的な課題に対する答えを含んでいるのです。
だからこそ、軍人だけでなく経営者・指導者・教育者・アスリートまで、多くの分野で読み継がれているのでしょう。
『孫子』は「戦い方」だけを学ぶ書ではありません。
「勝たなくても、負けないための生き方」を教えてくれる書なのです。
名言から読み解く孫子の思想
『孫子兵法』には、2,000年以上も読み継がれてきた深い洞察と言葉の力が詰まっています。ここではその中でも特に有名で、現代にも通じる名言をいくつか紹介し、その背景にある思想を紐解いてみましょう。
🗡️ 「兵は詭道なり(へいはきどうなり)」
「戦とは、まっすぐではなく、あえて曲がりくねった道を選ぶものだ」
この言葉は、正面からぶつかるだけが戦いではないという孫子の基本理念を表しています。相手の裏をかき、意表を突き、自らの損害を最小限にすることこそが、真の知略。
ビジネスや人間関係でも、正面突破だけでは解決しない場面が多々ありますよね。戦わずして有利を取る“柔らかさ”が、現代にも通じます。
🎯 「勝兵は先ず勝ちて而る後に戦いを求め、敗兵は先ず戦いて而る後に勝ちを求む」
「勝つ軍は、戦う前から勝利の条件を整えておき、負ける軍は、戦ってから勝とうとする」
この一節には、準備と見通しの大切さが凝縮されています。
行き当たりばったりではなく、事前の分析と設計があるからこそ、リスクを抑え、チャンスを掴める――現代のプロジェクト運営や交渉術においてもそのまま応用可能です。
👀 「彼を知り己を知れば百戦殆うからず」
「相手を知り、自分を知っていれば、どんな戦いにも負けない」
再登場のこの名言は、人間理解の要とも言える鉄則。
私たちがぶつかる問題の多くは、「相手を知らず、自分も見失う」ことから始まります。
感情に流されず、冷静に両者を見つめる――その姿勢を教えてくれる、まさに金言です。
🔥 「風林火山」――武田信玄の軍旗に宿る孫子の言葉
日本の戦国時代、最強の戦国大名と称され、信長・家康からもおそれられた武田信玄。
彼が掲げた軍旗に記されていた言葉、「風林火山」
「疾(はや)きこと風の如く、徐(しず)かなること林の如く、侵掠すること火の如く、動かざること山の如し」。
これはまさに、『孫子兵法』の軍争篇にある一節です。
孫武から1000年以上経った日本の戦国時代においても、
『孫子の兵法』は信玄に戦国最強の軍略を授けたのです。
時代も国も超えて、知恵が引き継がれている証とも言えます。
『孫子兵法』には他にも多くの名句がありますが、どれも**“勝利そのものよりも、いかにして戦いを避け、最小の労力で最大の成果を出すか”**という思想に貫かれています。
それは現代に生きる私たちにとって、
「頑張れば勝てる」ではなく、「負けずに成果を得られる構造を作る」ことの大切さを教えてくれる――
そんな人生のヒント集でもあるのです。
孫子を読むならこの一冊!おすすめ書籍3選
『孫子兵法』と聞くと「難しそう」と身構えてしまう方も多いかもしれません。でも、安心してください。現代の私たちにもわかりやすく読める本がたくさん出版されています。ここでは目的やレベルに合わせて、おすすめの3冊をご紹介します。
📚 ①子供&初心者向け:『学習まんが こども孫子の兵法』(監修:齋藤孝・まんが:ふわこういちろう/日本図書センター)
■おすすめポイント:子供向けに作られているが、大人でも孫子を気軽に学べる
小学生から読める内容の一冊。子供社会のケーススタディ形式の漫画でとても面白いです。
しかし孫子の入門として、大人でも面白く読むことができると思います。社会で生きるのは子供も大人も一緒。
📘 ②孫子をビジネスや日常に活かす!:『実践版 孫子の兵法』(鈴木博毅/小学館)
■おすすめポイント:現代の視点から孫子を役立てる。ビジネスはもちろん恋愛まで、分かりやすい実践の書です。
「孫子を現代社会に落とし込むだったのか」と思わずうなる内容。競合との戦い方、情報戦、人材配置など、現代のビジネスシーンと結びつけて解説されています。マネジメントや起業、組織戦略に関心のある方にもおすすめの一冊。
📖 ③本格派向け:『新訂 孫子』(金谷治/岩波文庫)
■おすすめポイント:原文と読み下し文と現代語訳。孫子をじっくり味わいたい人向けのベストセラー。
古典をじっくりと学ぶ醍醐味を味わいたい方にぴったりです。原文のリズムを感じながら、自分のペースで読み進めることができます。「思想としての孫子
どの本にも共通するのは、
「戦わずして勝つ」という、現代人にも通じる知恵が詰まっていること。
自分に合ったスタイルの一冊から、ぜひ『孫子兵法』の世界に触れてみてください。
孫武の逸話と実績
有名な「美女を使った軍事訓練」の逸話
孫武の名を語るうえで、避けて通れない逸話があります。
それが――**「美女180人による軍事訓練」**という、あまりに衝撃的なエピソードです。
時の呉王・闔閭(こうりょ)は、孫武の兵法書を読んだものの、「理屈ではわかるが、本当に実行できるのか?」と半信半疑でした。
そこで、あえて後宮の美女たち180人を預け、軍として訓練してみよと命じたのです。
孫武は2人の寵姫を隊長に任命し、訓練を開始。まずは基本の動作命令――「右を向け」「左を向け」などを出します。ところが、美女たちは笑ってふざけてしまい、命令を聞こうとしません。
その様子を見た孫武は、冷静にこう言います。
「命令が伝わらないのは、将の責任である。だが、命令が明確でありながら従わないならば、それは将ではなく隊長の罪である」
そしてなんと、王の寵姫である2人の隊長を、命令に背いたとして斬首。
その瞬間、美女たちの表情は一変し、以後は一糸乱れぬ行動を見せたといいます。
この逸話は『史記』にも記載され、真偽はさておき、孫武が「軍律の重さ」と「実行力の徹底」を象徴する人物として後世に伝わるきっかけとなりました。
呉王・闔閭(こうりょ)との関係
孫武の才能が世に出るきっかけとなったのが、**呉王・闔閭(こうりょ)**との出会いでした。
闔閭は即位当初、楚などの大国に囲まれた中で苦しい立場にあり、国力を高めるための人材を渇望していた君主でした。
そんなときに登場したのが、兵法の書を携えた孫武です。
当初はその理論の見事さに驚きつつも、現実に適用できるのかを疑問視した闔閭――そこで起こったのが、先ほどの「美女による軍事訓練」のエピソードです。
この出来事で孫武の理論と実行力を認めた闔閭は、ただちに彼を将軍として登用。
孫武はその期待に応え、呉軍を改革し、瞬く間に強国・楚を破る大戦果をあげます。
特に**「柏挙(はくきょ)の戦い」**では、楚の名将・唐昧(とうまつ)を破り、首都・郢(えい)を陥落寸前にまで追い込みました。
孫武の軍略は、単なる戦術だけでなく、**「国の存亡を左右する戦略」**にまで発展していきます。
そしてその背後には、彼の才能を信じ、任せ切った闔閭の決断力があったことも見逃せません。
この二人の関係は、まさに
「名君と名将が出会ったとき、国の運命は変わる」
という理想を体現した瞬間だったのかもしれません。
呉の名宰相・伍子胥(ごししょ)との関係
孫武と並び、呉の躍進を支えたもう一人のキーパーソンが――**伍子胥(ごししょ)**です。
彼はもともと楚の出身でありながら、父と兄を讒言によって殺され、復讐を誓って楚を脱出。その後、呉に身を寄せて仕官し、卓越した政治力と人材登用の眼を持つ宰相として活躍します。
孫武が闔閭に取り立てられる際にも、伍子胥の推薦があったとされており、二人の間には深い信頼関係があったと考えられています。
伍子胥が主導したのは、呉の国政改革と対楚政策。
そして孫武が担ったのは、その戦略を実行する軍事部門の再構築と戦場での勝利。
まさにこの二人は、「政治と軍事の両輪」として呉を支えた黄金コンビだったのです。
また、歴史のロマンとして語られるのが――
“もしこの二人がもっと長く同じ方向を見ていたら、呉は中華統一も夢ではなかったのではないか?”
という「if」の想像です。
実際には、伍子胥はのちに政治的に失脚し、呉はその後の後継争いなどから衰退していきます。しかし、孫武×伍子胥×闔閭の三本柱によって、一時的にでも呉が五覇の一角に名を連ねたことは、歴史に燦然と輝く一ページです。
孫武の戦績・戦略の特徴
孫武は「兵法の書を書いただけの理論家」ではなく、実際の戦場でも数々の成果を挙げた実戦派の軍略家でした。
彼が指揮を執った戦いの中で、特に注目されるのが――楚との戦いにおける大勝利です。
中でも有名なのが、先に触れた**「柏挙(はくきょ)の戦い」**。
当時、楚は広大な領土と大軍を誇る強国であり、呉とは比べ物にならないほどの軍事力を持っていました。しかし、孫武はその楚軍に対して、小国呉の軍隊を巧みに運用し、撃破することに成功します。
この勝利の背景には、以下のような孫武の戦略的特徴がありました。
🌀 ①戦わずして勝つ戦略(謀攻)
孫武は、武力でぶつかり合うことを最善とせず、
「最上は敵の計を破る」
という思想のもと、まずは相手の戦略・心を読み解き、混乱を起こすことを重視しました。情報戦、心理戦、内部の不和を利用する戦い方を得意としたのです。
🏞️ ②地形・状況に応じた柔軟な布陣
孫武は決して一つの形にこだわらず、地形や状況に応じて戦い方を変える変化自在の布陣を実践しました。
「敵に応じて自らを変える」姿勢は、まさに『孫子兵法』の「水の如し」という思想の体現です。
🧠 ③指揮官としての規律と冷静さ
軍律に厳しく、規律を乱す者には容赦せず――それが孫武の姿勢でした。
一方で、兵士の動きを的確にコントロールし、損害を最小限に抑えつつ勝利する戦い方を貫いたのも特徴的です。
「兵は貴きもの、軽々しく用いるべからず」という考えもそこに表れています。
孫武の戦い方には、「勇猛さ」や「豪快さ」はあまり見られません。
むしろ、冷静な分析・準備・制御・判断の積み重ねによって勝利を掴む――そんな“静かな知性の戦い”こそが彼の真骨頂だったのです。
「孫子」が後世に与えた影響
『孫子兵法』が生まれたのは今からおよそ2,500年前の春秋時代――
それにもかかわらず、その思想はいまだに色あせることなく、さまざまな時代・分野に受け継がれ続けています。
戦う相手は国や軍隊でなくても、企業、組織、人間関係、はたまた自分自身かもしれません。
その普遍的な知恵は、多くの人々にとって**「生き方の指針」**となってきました。
ここでは、『孫子』が後世にどのような影響を与えたのか、いくつかの視点から見ていきましょう。
戦国時代の名将たちへの影響
まず注目すべきは、中国の**戦国時代(春秋の次の時代)**における名将たちです。
この時代は「智将の時代」とも言われ、戦い方そのものが進化した時代でした。
そんな中で『孫子』は、軍略のバイブルとして多くの将軍・君主に影響を与えました。
たとえば――
🧠 魯・魏・楚の呉起(ごき):
兵法の実践家であり、孫武に強い影響を受けた人物。自らも『呉子』という兵法書を残し、後に「孫子と並び称される」兵法家となります。
🛡️ 趙の廉頗・李牧(りぼく):
情報戦・防衛戦に長けた彼らの戦術には、**「戦わずして勝つ」「防御の美学」**といった孫子の思想の面影が見られます。
⚔️ 秦の白起(はくき)・王翦(おうせん):
数万、数十万の兵を操る中で、無駄な戦いを避け、確実に勝つ――まさに『孫子』的な現実主義の軍略が活きています。
さらに、孫子の「彼を知り己を知れば百戦殆うからず」の思想は、戦国時代の間者(スパイ)活動や内偵戦略にも応用され、**「情報戦こそが勝敗を決する」**という考えが確立されていきました。
『孫子』は単なる古典ではなく、まさに**「当時の最先端の実践書」**だったのです。
世界の戦術家へ与えた影響
『孫子兵法』は、中国を超えて世界中の軍事戦略に影響を与えてきました。
19世紀以降、各国で翻訳が進み、欧米の軍人や理論家たちがこぞってこの兵法を研究し始めます。
🎖️ カール・フォン・クラウゼヴィッツ(『戦争論』の著者)
戦争を「政治の延長」と定義したことで有名な彼の理論の根底には、「敵の中心を突く」「情報と地形の把握」といった孫子的な発想が色濃く見られます。
🎖️ ダグラス・マッカーサー
アメリカの伝説的将軍。部下たちの証言によれば、作戦会議では孫子を引用しながら意思決定をしていたといいます。
「敵を倒すには敵を理解することから」という孫子の考えを、現代戦の中に見事に取り入れていました。
📝 豆知識:ナポレオンと孫子は似ている?
ナポレオン・ボナパルトが孫子を直接読んだという証拠はありませんが、その軍略――たとえば「情報の重視」「敵の心理を読む」「迅速な機動戦」など――には、孫子の思想と通じる点が多く見られます。
直接の影響はなくとも、時代を超えて戦いの本質を掴んだ者たちは、同じような結論にたどり着くのかもしれません。
現代ビジネス・軍事戦略への応用
『孫子兵法』が“生き残っている”理由――それは、単なる戦争の書ではなく、時代や分野を問わず使える「思考法」や「判断基準」が詰まっているからです。
現代においても、この書の知恵はビジネス戦略・組織運営・人間関係の駆け引きなどに幅広く応用されています。
🏢 ビジネスでの応用例
🔍 「彼を知り己を知れば百戦殆うからず」
→ 市場分析(彼)× 自社分析(己)を徹底せよ。闇雲に攻めるのではなく、まずは状況把握がすべて。
⚖️ 「勝兵は先ず勝ちて而る後に戦いを求め…」
→ リスクが高すぎる挑戦はしない。「勝てる準備が整った」時だけリソースを投じる。これはプロジェクト選定や新規事業にも通じます。
🎯 「兵は詭道なり」
→ 競合が想定していない切り口、ニッチ市場、あえて外す“王道”が勝機になることも。奇襲=柔軟な思考。
🪖 現代軍事・安全保障の文脈でも
軍事大学校では今も『孫子』が教科書的に扱われています。
特に「用間篇(スパイ活用)」は、現代の情報戦・サイバー戦・諜報活動にも通じる理論であり、**「見えない戦いにどう備えるか」**という視点が評価されています。
また、近年では「戦わずして勝つ=外交・経済戦略」と読み替える動きもあり、**軍事力だけではない国家戦略の“骨格”**として孫子が再注目されています。
古代中国の二大兵法家 × ヨーロッパの英雄
〜孫子・呉起・ナポレオンの知略を比較してみよう〜
『孫子兵法』の著者・孫武と、『呉子』の著者・呉起。
そして時代も地域も違うけれど、“戦略の天才”として歴史に名を刻んだナポレオン・ボナパルト。
彼らを並べて比較してみると、意外にも共通点や対比が浮かび上がってきます。
**「勝つために、何を重視したか」**という視点で見てみましょう。
観点 | 孫子(孫武) | 呉子(呉起) | ナポレオン |
---|---|---|---|
活躍時代 | 春秋時代(紀元前6世紀) | 戦国時代(紀元前5世紀) | 18〜19世紀フランス |
主な活動地域 | 呉 | 魯・魏・楚 | ヨーロッパ全域 |
立ち位置 | 兵法家・将軍 (理論➕実践) | 将軍・宰相・兵法家 (軍・政共に実戦派) | 革命と帝国のカリスマ将軍 |
著書・理論 | 『孫子兵法』:戦わずして勝つ | 『呉子』:現場での統制と実務重視 | 著書なし(戦術と行動に思想が表れる) |
戦いの哲学 | 勝てるまで戦わない | 自ら先頭に立ち、組織を鍛える | 奇襲・機動・集中突破 |
有名な言葉 | 「彼を知り己を知れば百戦殆うからず」 | 「将は仁義誠実果断をもって将たる」 | 「最も強い軍は、自分が勝つと信じている軍だ」 |
現代的な意義 | 戦略思考・組織運営に活用される | リーダーシップ論や士気向上に応用 | 実行力とカリスマの象徴として学ばれる |
📌 ポイントは、「戦い」を“人生や組織の課題”に置き換えて読むこと。
『孫子』の言葉は、血なまぐさい戦場から解放された今こそ、人や組織が“無駄な争いを避けて成果を上げる”ための知恵の書として生きているのです。
📝豆知識:ナポレオンは『孫子』を読んでいた?
→ 現在は『読んでいない』というのが定説となっているようです。読んだ証拠はないものの、彼の戦略や思想には孫子との共通点も見えてきます。(もちろん相違点もあります。)**「遠く離れていても、戦いの本質にたどり着いた者たちは似てくる」**という興味深い視点が見えてきます。
まとめ
孫子は勝つための書ではなく、生き抜くための戦術書。
『孫子兵法』と聞くと、多くの人が「戦争」「勝ち負け」「軍事的な話」といったイメージを持ちます。
しかし実際に読んでみると、それは**敵を倒すための攻撃の書ではなく、無駄な争いを避け、自らと組織を守りながら、理想の結果を導くための“知恵の書”**であることに気づかされます。
・勝てないなら戦わない
・準備が整うまで動かない
・相手を知り、自分を知る
・感情に流されず、理で判断する
これらの教えは、戦場だけでなく、
現代のビジネス、人生の選択、人間関係、組織づくり…あらゆる場面に通じます。
そして何より――
「勝つこと」よりも、「負けないこと」こそが本当に大切であるというメッセージが、時代を超えて多くの人々に響いているのです。
孫子の言葉は、時に冷たく、静かで、感情を排したように見えるかもしれません。
けれどその根底には、**「どうすれば人が無駄に死なずに済むか」「どうすれば組織や国を守れるか」**という強い“人間への思い”があると、私は思います。
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参考文献・出典
- 司馬遷『史記』「孫子呉起列伝」
- 横山光輝『史記』小学館
- YouTube 『中田敦彦のYouTube大学』【孫子の兵法①,②】
- ウィキペディア「孫子」「孫武」(最終閲覧日:2025年6月15日)
※本記事は、上記の文献・資料をもとに執筆しており、内容の整理や構成の検討には OpenAIを補助的に活用しています。
歴史的事実には諸説があり、解釈の違いや創作を含む部分もございます。
楽しんでいただける読み物としてご覧いただければ幸いです。
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