キングダム前日譚 ”孫氏”に並ぶ兵法家『呉起』

「呉子」の呉起のイメージ画像 中国春秋戦国時代から学ぶ

キングダムより100年前に登場した『呉起』とは


戦国の世を生き抜いた多くの武将たち。だが、キングダムの物語より100年以上も前、
すでに“伝説”と呼ぶべき人物が存在していた。その名は呉起(ごき)。

呉起は、紀元前440年ごろに「衛(えい)」という小国に生まれた実在の人物である。

現代では「孫子と並ぶ兵法家」として紹介されることも多く、
のちに「呉子(ごし)」と呼ばれる兵書も伝わるほど。

同時代の武将の中でも、群を抜いた軍略と国家運営の知略を併せ持ち、
“兵法家”そして“法家”としても語り継がれている。

つまり、彼は「戦のプロフェッショナル」であると同時に、
「国家マネジメントの天才」でもあったのだ。

また、横山光輝の『史記』や多くの兵法書に描かれており、
中国思想史・戦略史における重要人物でもある。

人生物語としても非常に波乱万丈で、
**仕官する国を変えながら、改革と功績を残し、最後は非業の死を遂げる──**という、
まさに戦国の縮図のようなドラマチックな生涯を歩んだ。


キングダムに登場する王翦・李信・蒙恬たちが“中華統一”というビジョンに向かって進んだように、呉起もまた「理想の国家像」を持っていた。
それは、なんと100年以上後に、秦の始皇帝や李斯によって実現される”法治国家”だった。
しかし、それは早すぎる思想で時代が彼に追いつくことは出来なかった。
彼の人生は常に輝きと悲劇に満ちていたものだった。


兵法家としての呉起


「呉子(ごし)」という書物をご存じだろうか?
これは、『孫子』と並び称される中国古代の兵法書のひとつであり、
『兵法』=『孫呉(の術)』と言われるほどの書である。
そして、その著者こそが、呉起(または呉起の門徒)だとされている。

呉起は単なる「武勇の将」ではなく、合理的かつ体系的な戦術理論をまとめた兵法家である。
その内容は、軍の指揮、兵士の訓練、兵站管理から心理戦にいたるまで多岐にわたり、まさに“現場を知る将軍”が書いた実戦向けマニュアルとも言える。


呉起兵法の特徴

  1. 厳格な軍律(規律の徹底)
     → 規律を破る者は将軍であろうと罰することで知られ、信賞必罰を貫いた。
  2. 柔軟な用兵(戦況に応じて変化する戦術)
     →「敵が変われば、こちらの戦い方も変わる」として、パターンに頼らない臨機応変さを重視。
  3. 兵士との一体感
     → 部下を自分と同じように扱い、同じ食事・同じ装備を用いた。これにより絶大な信頼を得た。※戦場で負傷した、部下の膿を吸い取ったというエピソードから生まれた吮疽之仁(せんそのじん)」の四字熟語が有名。
出典:横山光輝「史記」第3巻

現代にも通じるようなマネジメント理論ともいえる内容が、『呉子』には詰まっている。
それもそのはず。呉起は「軍を強くする」ことが「国を守る第一歩」だと考えていた。

しかも彼は理論だけの人物ではなく、実際に自ら軍を率いて数々の戦に勝利している。
まさに「兵法家=実戦家」として、後世の王翦や白起といった将軍たちに多大な影響を与えた存在なのだ。


孫氏との比較 

呉起の兵法書『呉子』は、同時期の『孫子』としばしば比較されます。
大きな違いは、そのアプローチの焦点にあります。

  • 『孫子』:戦略・謀略・地形など、戦場の勝ち方に特化
  • 『呉子』:軍隊の統率・兵士の士気・規律など、組織と人の動かし方に特化

シンプルにまとめると、孫子は戦場の戦略に特化し、呉起は部隊管理やモチベーション管理に長けていました。同じ兵法でも両者には大きな違いがあります。
▼ では、その違いを表にまとめてみましょう!

つまり、**孫子が「勝つための理論」**なら、
**呉子は「勝てる軍をつくるための実務」**とも言えるでしょう。

また呉起は、自ら兵士と同じ目線で戦場に立ち、信頼を得るという現場主義を徹底しました。
そのため、呉子の内容には「将のあるべき姿」や「軍律の厳格さ」など、リーダーシップ論として現代にも通じる視点が多く見られます。

📘次は、軍略だけでなく“国家改革者”としての一面を紹介する「法家としての呉起」に続きます。


法家としての呉起

呉起(ごき)は、兵法家として名高いだけでなく、「法家(ほうか)」としても後世に多大な影響を与えた思想家でもあります。法家とは、法律によって国を治めることを重視する政治思想の流派であり、後の秦の始皇帝による統一国家体制にも通じる理念です。

呉起が最も法家としての思想を実践したのは、戦国時代中期の楚(そ)でのことです。
楚の悼王(とうおう)に仕えた呉起は、軍政一体の改革を断行します。

出典;横山光輝「史記」第3巻(小学館)

楚で行った大胆な改革

  • 貴族の特権を削減し、兵士の身分に関係なく登用
  • 実力主義による登用制度(成果重視)
  • 軍制改革と一体化した国家運営の試み

このように、法律(制度)を用いて国の運営を合理化・軍政を一体化する姿勢は、後の商鞅や韓非子に引き継がれていきます。呉起は、その先駆け的存在だったのです。

法家の人々:呉起と商鞅・韓非子のつながり

呉起が目指した「法の統治」を基盤とした国作りは、戦国時代の末期に現実のものになっていきます。呉起の後、100年の年月をかけて少しずつ進んでいくこの流れの中には、幾人もの優れた法家の存在がありました。
▼代表的な法家

法家の人物特徴・ポジション
   呉起(ごき)・楚軍政一体の実践者。現場での法の運用から理論へ発展。
商鞅(しょうおう)・秦法治による国家統治を徹底。秦国の体制を整備。
韓非子(かんぴし)・韓法家の理論を体系化。思想的集大成者。
   李斯(りし)・秦始皇帝と共に「大規模法治国家を体現」

※キングダムでも活躍する韓非子や李斯らは、史実でも大変な功績を残した法家でした。彼らは新しい概念を世に広めるという【戦場】で、まさに生死をかけた戦いをしていました。

波乱万丈な呉起の生涯

呉起が士官した国々(仕える国が大きくなるにつれて、呉起の役割も大きくなっていった。持っている「器」が大きかったのだろう。)

衛の名門に生まれる(出自)

呉起は、中国の戦国時代に先立つ、春秋時代末期の衛(えい)という国の名家に生まれました。彼は若くして学問を志し、特に兵学に興味を持ちます。諸子百家が活発に思想を交わしていた時代、呉起もまた「実学」としての兵法に魅了されたとされます。


魯で軍人として名を上げる

その後、呉起は隣国「魯(ろ)」に仕官し、戦場でめざましい活躍を見せて頭角を現します。
しかし、その忠誠や手腕とは裏腹に、政敵の讒言や貴族たちの嫉妬により、魯を去ることになります。


魏に仕え、兵法家としての評価を高める

その後、呉起は**強国・魏(ぎ)**に仕官。
名将・文侯や呉王に仕え、呉起は国境線での守備や戦争で連戦連勝を重ね、兵法家としての名声を確立していきます。

特に有名で、軍事における呉起の姿勢を表すのがーー

「戦場では傷ついた兵の足を自ら吸い出し治療した」
というエピソード。

吮疽之仁(せんそのじん)」  出典:横山光輝「史記」第3巻(小学館)

このエピソードから『吮疽之仁(せんそのじん)』という四字熟語が生まれました。

このような呉起の姿勢と軍才によって、魏軍の士気は上がり、魏国も列強の仲間入りをするまでに成りました。

ただし、魏でも保守的な貴族層や軍内部での軋轢が続き、ついに再び他国へと身を移すことに…。


楚での大改革と最期

最後の仕官先は、南方の大国「楚(そ)」。
ここでは楚の悼王に強く重用され、軍制と行政の統合改革を断行しました。

この改革の中には、法治国家」への移行も含まれていました。
呉起は国家ビジョンにおいても100年先を走っていました。

しかし――その急進的な改革は、旧体制の貴族たちから大きな反発を受けます。

そして悼王の死後、
呉起は、「法」により既得権益を奪われていた貴族たちにより謀殺されてしまいます。
しかし、ただで死ぬような呉起ではありません。
呉起が生み出した「法」に従い、呉起に刃を向けた者たちも死罪になったとも言われています。

出典;横山光輝「史記」第3巻(小学館)

まさに――
法をもって法に殉じた男。

その人生は、あまりにドラマチックで、才能と波乱に満ち溢れたものでした。

まとめ:そして100年後、、、時代が呉起に追いつく

時として、時代の遥か先を疾走する傑物が現れることがある。
それは、『兵法の世界』では、”呉起”であり”孫武・孫臏(そんぴん)”であった。

しかし、呉起は兵法のみならず『法家』の世界でも100年先を走っていた。

法家の世界では、その後、秦の商鞅(しょうおう)韓の韓非子(かんぴし)・そして秦の李斯(りし)らが、多くの非難を浴びつつも「法の統治」を進めてきた。

そして、始皇帝の時代に一つの形を成した「法治国家」は、現代の私達が生きる現代に至るまで、社会の基盤として機能し続けている。

そう考えると、呉起の頭脳の中には未来の叡智までも詰め込まれていたようにも感じられる。

春秋戦国時代の代表的人物として、【兵法家としての孫子】が挙げられるのは間違いないが、兵法家の枠を超え、【戦いの先にある世界観までを考え体現した総合力】で判断するとき、もしかしたら『呉起』は孫子を上回る傑物だったとも言えるのではないだろうか。


関連人物・歴史人物年表

■歴史年表・人物一覧■
🔷呉起〜〜軍神・楽毅や始皇帝らキングダムの時代まで!!「人物年表」も御覧ください👇️

■関連記事■
🔷秦の始皇帝の記事はこちら
👉️『秦の始皇帝』とは?中国を統一した初代皇帝の生涯とその影響

🔷王翦(おうせん)大将軍の記事はこちら🔷
👉️王翦将軍〜春秋戦国時代と秦の集大成!中華統一へ〜

🔷李信(りしん)将軍の記事はこちら
👉️中華統一へ猛進!実在した将軍・李信──飛信隊と仲間たちは実在した?

🔷白起(はくき)将軍の記事はこちら
👉️生涯無敗・六大将軍筆頭”白起”

参考文献・注記

本記事は以下の文献・資料をもとに、事実確認と内容の整理を行っています。

  • 『史記 列伝 第一百二十巻』 司馬遷
  • 『呉子』 (岩波文庫/講談社学術文庫 など)
  • 『戦国策』 劉向 編(平凡社東洋文庫 など)
  • ウィキペディア「呉起」(最終閲覧日2025年6月11日)
  • 『史記』横山光輝(小学館)
  • 『キングダム』原 泰久(集英社)

※本記事は上記の文献・資料をもとに、OpenAIを補助的に活用し、
構成や文章の整理、内容の表現を検討しながら執筆しています。

史実には諸説あり、解釈の違いや創作的要素を含む部分もあります。
読み物として楽しんでいただければ幸いです。

コメント

タイトルとURLをコピーしました