”昌平君” 楚の地での反旗——最後の戦いへ

昌平君のイメージ画像 中国春秋戦国時代から学ぶ

※この記事は現在、史料確認と情報修正のため一部改訂中です。(2025年7月7日)

秦の宰相にして、軍をも統べる知将――昌平君。
そのクールな外見と圧倒的な知略で、キングダムファンの間でも人気の高い存在です。

出典:原泰久「キングダム」第27巻(集英社)

画『キングダム』シリーズでは、俳優・玉木宏さんがその知的で冷徹な雰囲気を見事に演じ、多くの観客を魅了しましたね。

キングダム読者にとって、昌平君といえば「秦の軍総司令官」であり、同時に政(せい)王を支える宰相という、まさに“軍と政治の両輪を担う超重要人物”。冷静沈着で、時に厳しくも理知的な判断を下す姿に「憧れ」を抱くファンも多いのではないでしょうか。

その魅力は、単なる軍師や政治家という枠に収まりきらないスケールの大きさ。
作中では「楚の王族の血を引く」とも描かれていますが、実際の史料からは出生に関する明確な記録は多く残っていません。
それでも、“秦の中枢を担った知将”として、史実でも物語でも際立つ存在であることは間違いありません。


昌平君とはどんな人物か?

キングダム読者にとっての昌平君は、「軍総司令官」としての冷静沈着な戦略眼、そして政(せい)王を支える宰相としての重厚な存在感で、非常に印象深い人物の一人でしょう。

作中では、軍と政治の両面において秦の中心を担い、知略と信念を併せ持つ存在として描かれています。その圧倒的な知性とカリスマ性は、多くの読者にとって憧れの対象ともなっています。

一方、史実の昌平君については、不明な点も多く、諸説が存在します。
とくに彼の出自については「楚の王族に連なる人物ではないか」との説があり、作品内でもこの説をベースにした設定が採用されています。

本記事でも『キングダム』の描写を踏まえつつ、史料をもとに昌平君の人物像に迫っていきます。


※なお、諸説ある部分については補足や注釈を加え、断定を避けた記述としています。


史実の昌平君

秦の中華統一直前まで丞相を務める。

昌平君は、戦国時代末期の楚の王族に連なる人物とも言われつつも、秦の重臣としても活躍した異色の人物です。特に注目されるのは、呂不韋の補佐として活躍した後に、始皇帝に仕え丞相にまで昇進し、始皇帝の中華統一に大いに関与したということです。

当時の丞相とは、国家の実質的なトップ官僚であり、軍事・内政・法務すべてにおいて強い影響力を持っていました。

突然の罷免――昌平君に何が起こったのか?

紀元前225年ころ、秦は魏を滅ぼし、残す敵は楚・燕・斉のみという状況でした。ところが、秦王政(後の始皇帝)の政権内で何らかの対立や不信が生じたとされ、昌平君は突如として丞相を罷免させられたようです。その後、秦の領土となっていた楚の旧都へ派遣されたと記録されています。

郢陳(えいちん)の反乱

この頃、秦軍は李信・蒙恬を中心に楚攻略を進めていましたが、郢陳で突如として反乱が勃発。これがいわゆる「郢陳の反乱」と呼ばれる出来事です。

この反乱により、秦軍は動揺し、そこへ楚の名将・項燕(こうえん)の反撃が加わり、秦軍は壊滅的な敗北を喫することとなります。

図1.李信・蒙恬軍の大敗北
出典:Wikimedia Commons「ZH-战国七雄地图」
作成者:Lqy219 / CC BY-SA 3.0 https://commons.wikimedia.org/wiki/File:ZH-战国七雄地图.jpg

最後の楚王になる

その後、楚は項燕の主導により体制の立て直しを図りますが、興味深いのはこの時期に**「昌平君を楚王に擁立した」とされる説**が残っている点です。

この「楚王としての昌平君」については、記録が非常に限られており、
司馬遷の『史記』にわずかにその名が登場するのみです。信ぴょう性や詳細は不明な部分も多く、研究者の間でも議論の余地があります。

とはいえ、昌平君が秦で要職にあった人物であること、そして楚の反乱の渦中にいたことは間違いなく、
「楚王に推戴された」という説も、当時の混乱と彼の立場を考えれば一定の説得力を持っています。

最終的に、昌平君は楚の項燕と共に、秦の王翦・蒙武の連合軍と戦って敗れ、命を落とすことになります。

秦の中華統一に深く関わった人物が、最終的には“抵抗する側”に立って命を落とした――。
それが事実であれば、これほど数奇な運命はありません。

キングダムの昌平君

軍総司令官としての姿

キングダムにおける昌平君は、秦国軍を束ねる**“軍総司令官”**として圧倒的な存在感を放っています。
軍略に長け、冷静沈着な判断力を持ち、政や六大将軍たちからも厚い信頼を寄せられています。

史実でもあった「嫪毐(ろうあい)が反乱」では、昌平君はそれまで使えていた呂不韋の元を去り
自ら軍勢を率いて圧倒的な武力を見せつけました。

キングダム中でも滅多に表に出て戦うタイプではありませんが、キングダム最強の知将・李牧と
同等の知略を持ち、若い頃は、蒙武と同等以上の武を持つという、正に「知と武の極み」として
描かれています。


秦王嬴政(えいせい)との信頼関係

昌平君は、若き王・政(後の始皇帝)にとって、軍事面だけでなく政治面でも重要なブレーン
政の加冠の儀を堺に、側近として仕え、秦の中華統一という遠大な夢の実現に向け、共に歩んできた同志です。

劇中でも、政が“本気で天下を獲りにいく”という決意を示す場面では、
昌平君がその決意を静かに受け止め、忠義を誓う印象的な描写が見られます。

信頼と戦略――両輪で政を支えるその姿は、まさに秦の屋台骨です。
現在、本格的に進んでいる中華統一の戦略は、基本的には昌平君の戦略に
よって進められている状況です。


昌平君と蒙武の関係性(映画でも注目!)

昌平君と蒙武の関係は、キングダムの物語全体を左右するような大きな伏線となりそうですね。
あまり多くは語られていませんが、軍総司令官と猛将という立場の違いがありながら、幼い頃から
通じ合い、互いに実力を認め合い、厚い信頼を築いているような描写がされています。

出典:原泰久「キングダム」第61巻(集英社)

原作でもその関係性は徐々に深まりつつありますが、
2024年の映画「キングダム 運命の炎」でもこのコンビに焦点が当てられ、玉木宏さん(昌平君)と平山祐介さん(蒙武)による熱演が大きな話題となりました。

そして、映画「大将軍の帰還」でも、この二人の今後の動きが大注目!
2025年7月にはテレビで放送予定とのことですので、是非楽しみにしてくださいね。
政と昌平君、昌平君と蒙武――それぞれの信頼関係が、物語にどう影響を与えていくのか、ますます目が離せません。


まとめ〜軍略と忠義の知将・昌平君の魅力〜

昌平君は、実在した「秦の丞相」としても、キングダムに登場する“知略の総司令官”としても非常に魅力的な人物です。

史実においては、楚王の血統を持ち、中華統一に貢献した才人でありながら、
 最終的には楚王として悲運の最期を遂げたとされる。

キングダムでは、冷静沈着な知略と仲間を思う情熱、さらには
 秦を陰で支える信念を持つ存在として描かれています。
・軍略の天才でありながら、政や蒙武との間に厚い信頼関係を築く姿
・映画「キングダム」シリーズでも中心人物として存在感を放つ立ち位置
・“戦う宰相”として、中華統一の大義を支える重鎮

もしかしたら、これからの「キングダム」は、昌平君の周りを中心に展開していくかもしれません。
そんな昌平君の活躍や変化に注目すれば、物語の見え方がきっと変わってくるはずです。
ぜひ、皆さんと一緒にこれからのキングダムも楽しんでいきたいと思っています✨️


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参考文献・出典

※「昌平君が楚王となった」という説については、史記などに断片的な記述があるのみで、明確な証拠が残っているわけではありません。研究者の間でも意見が分かれる部分であるため、本記事では仮説の一つとして紹介しています。

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