戦国七雄・最初の滅亡に関わった男――騰(とう)の真実

内史 騰のイメージ画像 中国春秋戦国時代から学ぶ

漫画『キングダム』に登場する「騰(とう)」。
その圧倒的な武力と、王騎の死後も軍をまとめる器の大きさに、魅力を感じている読者も多いはずです。そして現在「キングダム」では、騰のハイライトの一つになるであろう韓攻略戦の火蓋が切って落とされました⚔️🔥映画『キングダム』シリーズでは俳優・要潤さんが演じ、その存在感がますます注目を集めましたね。

そんな騰――実は、史実にも登場する実在の人物だったことをご存知でしょうか?
ちなみに、私はフィクションのキャラだと思っていました😅💦)

今回は、キングダムのファンにこそ知ってほしい「史実の騰」にもスポットを当て、
彼が戦国七雄の一国「韓」の滅亡に関わり、秦の天下統一を支えた重要人物であることを、わかりやすくご紹介します!

キングダムの世界がもっと深く面白くなる“もう一つの騰”の物語、始めましょう!


騰とは何者か?

キングダムファンに伝えたい、もう一人の実在した将軍

「内史騰(ないし・とう)」――この名は、実在した秦の武将・政治家として史書に記されています。
特に「戦国七雄」のひとつである「韓(かん)」を滅ぼした将軍として名を残しており、
のちに中華統一を成し遂げる秦の国家戦略において、重要な役割を担った人物です。

キングダムでは“王騎の副官”としての印象が強い騰ですが、
史実においては「独立した将軍」として、文武両道に活躍した姿が浮かび上がってきます。

ここからは、そんな内史騰の実像を「史実」と「キングダム」の両面から、わかりやすくご紹介していきましょう。


キングダムでの騰(とう)

キングダムファンにとって、序盤の「騰(とう)」は王騎将軍の頼れる副官として、深く印象に残る存在でしょう。
その落ち着いた物腰と、ユーモアを交えた余裕のある戦いぶり、そして「副官」という立場にありながらも時に主将として戦場を率いる姿に、痺れた読者も多いはずです。

騰は王騎亡き後、残された兵たちをまとめ、やがて秦の「新・六大将軍」の一角として活躍します。
その姿は、“王騎にすべてを託された男”としての重責と信頼の重みを感じさせてくれます。

ここでは、そんなキングダムにおける騰の活躍ぶりを、代表的な3つの観点から振り返ってみましょう。


王騎軍の副官時代

物語序盤では、あくまで王騎軍を支える「副官」として登場していた騰。

明らかに、他の武将とは違う異質な空気感を身にまとい、飄々と王騎の補佐を務めていましたね。
しかし、王騎のその態度から、騰に対する絶対の信頼が感じられました。

なんか、とぼけているけど圧倒的に強い。異常に強い。

筆者などは、”一体何者なんだろう?”とずっと思っていました。
キャラが異質すぎて、ずっと創作人物だと思い込んでいました。

そんなキングダム序盤の騰が、初めて感情を表したのが、王騎将軍の最期でした。

王騎を逃がすために鬼神のごとく戦う騰
出典;原泰久「キングダム」第16巻(集英社)

まだ正体が定かではなかった「趙の李牧」の壮大で幾重にも張り巡らされた軍略の前に、秦軍は全滅の危機に陥りまいした。王騎は身を挺して活路を見出しましたが、最期は信や騰に見守られながら馬上で息を引き取ります。

まさに、キングダム前半のクライマックス的な場面でした。

ここで、王騎将軍は2人の人物に2つのものを託しました。


王騎に後を託される

王騎が託した2人の人物と、2つのものとは、

その2人とは、「騰」と「信(後の李信)」でした。

騰には「王騎軍」を

信には「王騎の矛」を。

騰には、王騎の人生とも言える「同志たち」を託し

信には「道」を示しました。

「たのみましたよ 騰」

この一言に、騰という人物の信頼度と、王騎との絆の深さがすべて詰まっています。

王騎から軍を託される騰
出典;原泰久「キングダム」第16巻(集英社)

以後、騰は王騎の“意志”と“矜持”を背負い、
副官という枠を超えて「王騎軍を率いる将軍」として戦場を駆けていくのです。

この場面は、筆者にとって特に胸に刺さる名シーンでした。


※王騎将軍を詳しく知りたい方はこちら👉️「六将・王騎は実在したの?


対韓戦の先陣を切る!

王騎の死後、王騎残党軍を率いて、幾度も秦の危機を救う活躍をしてきた「騰」。
その後、将軍となりますが、秦王嬴政により、蒙武・王翦・楊端和と共に新六大将軍に任命されます。

原作後半?(74巻時点)、秦がついに韓(かん)の攻略に本格的に乗り出す場面。
その先陣を任されたのが、まさにこの騰でした。

王翦や蒙武といった大将軍が控える中で、
「まずは騰が動く」という采配は、キングダム内でも“信頼の厚さ”を示す描写と言えるでしょう。

韓攻めの総大将を努めた騰
出典;原泰久「キングダム」第74巻(集英社)

ここでの騰の戦いぶりは、
まさに“王騎の魂を受け継ぐのみならず、己の道を歩む大将軍”そのもの。
冷静かつ大胆に戦局。政局を切り開いていく姿に、
「やっぱりこの人はただ者じゃない」と再認識させられます。


このように、キングダムにおける騰は、ただの将軍以上の存在として描かれています。
次は、その“もう一つの顔”――**史実に登場した「騰」**に迫っていきましょう!

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史実に登場した「騰」とは?

キングダムでは「王騎の副官」としての印象が強かった騰ですが、
史実ではれっきとした“独立した将軍”として歴史に名を残しています。

特に注目すべきは、戦国七雄の一角韓」を滅ぼした軍功と、
その後に就いた「内史騰(ないし・とう)」という高位官職

ここでは、そんな実在の騰の足跡を、史料をもとにわかりやすく追いかけてみましょう。


「騰」は実在した将軍

『史記』や『資治通鑑』などの中国正史によれば、「騰」は秦の武将として記録されています。
彼は嬴政(えいせい/後の始皇帝)の時代に登場し、
中華統一事業において重要な役割を果たした人物とされています。

その中でも、特に功績として知られるのが――
韓(かん)を滅ぼした将軍としての記録です。


韓を滅ぼした功績

戦国七雄の中でも、最も早く滅亡したのが「韓」です。
そして、その韓攻略戦を任されたのが、他でもない「騰」でした。

紀元前230年、騰は秦王政の命を受けて韓に侵攻。
結果として、韓はわずか数か月で降伏し、滅亡。
ここに「戦国七雄」の最初の崩壊が起こります。

これは単なる征服ではなく、中華統一への狼煙とも言える一戦でした。


その後のキャリア――「内史騰」へ

韓を滅ぼした後、騰は「内史」という官職に就き、
始皇帝の中央政権を支える文官としての道を歩みます。

「武将」から「文官」へ。
これにより、騰が単なる戦争屋ではなく、政務能力にも長けた人物であったことがうかがえます。

また、史料には「内史騰」として複数回登場し、
彼が秦の法整備や地方統治にも関与していたことが示唆されています。


以上が、史実に登場する「騰」の主な実績です。
次のセクションでは、「キングダム」と「史実」を照らし合わせながら、
“騰という人物の魅力”に、もう一歩踏み込んでみましょう

コラム① 役職の豆知識  

【「内史」とはどんな役職?】

「内史(ないし)」とは、秦や漢代における中枢の高級官職の一つ。
ざっくり言えば、現代でいう“内務大臣”“首都圏知事”のような存在です。

特に秦では、内史は「咸陽(かんよう)」およびその周辺を治める重要ポストであり、
政治の中心地を任されるという意味でも、非常に信頼の厚い役職でした。

騰がこの「内史」に任じられていたことは、
彼が軍事だけでなく、政治面でも極めて有能だったことを物語っています。

キングダム×史実で見る「騰」の魅力

史実を読み解くと、キングダムで描かれる「騰(とう)」は、
かなり忠実に、そして丁寧にアレンジされていることがわかります。

ここでは、キングダムと史実を比較しながら、
騰という人物の“本当の魅力”に迫ってみましょう。


史実から見える、騰の“強さ”と“知略”

韓を滅ぼした将軍として名を残す騰。
その軍功は“単独の名将”として十分なものです。

一方で、彼は戦のあと「内史」という要職に就き、
文官としての才覚も発揮しました。

この「文武両道」という特徴は、
キングダムでも騰の“言葉遣い”や“立ち振る舞い”からしっかり表現されています。

静かなる知性、鋭い観察眼、そして時折見せる鋭い一撃――
騰は単なるパワー型将軍ではなく、まさに“バランス型の知将”だったのです。


文武両道!ただの将軍じゃない

キングダムでは、騰は“王騎の副官”として登場しますが、
作中でも王騎亡き後、残党軍をまとめ、やがて将軍→六大将軍へと昇進。

これは史実における「独立した将軍・騰」の姿と重なります。

特に、韓攻略戦での指揮官という点は、作中でも史実でも共通しており、
ただ軍事を担うだけの将軍に収まる器ではないことが強調されています。

政治家としての片鱗を見せる将軍騰
出典;原泰久「キングダム」第74巻(集英社)

実際の「騰」も、戦争後の韓・統一後の秦のことまで
考えることのできる超優秀な人物だったのでしょう。


まとめ――「騰」は秦の礎を築いた英雄だった

ここまで、キングダムでは、名将・王騎の“副官”としてのイメージが強かった騰。
しかし史実に目を向ければ、彼はまさに――
**戦国七雄の一角・韓を滅ぼした、歴史的な「始まりの将」**でした。

それだけではありません。
戦の後には「内史騰」として政務にもあたり、始皇帝の治世を内側から支えました。

つまり、騰という人物は「文武両道」の体現者であり、
戦国時代の終焉から中華統一への流れをつくった重要なピースだったのです。

また、「王騎と騰の師弟関係」や「六大将軍の再編」など、
キングダムにおける演出も、
史実にうまく寄り添いながら“人物の魅力”を最大化しています。

フィクションで知り、史実で深まる――
その面白さを教えてくれるのが、「騰(とう)」という存在。


ここまでお読みいただき、ありがとうございました!
次回も、キングダムや中国戦国史の魅力をわかりやすくお届けします🔥


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参考文献・出典

※本記事は、上記の文献・資料をもとに執筆しており、内容の整理や構成の検討には OpenAIを補助的に活用しています。
歴史的事実には諸説があり、解釈の違いや創作を含む部分もございます。
楽しんでいただける読み物としてご覧いただければ幸いです。

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